南アといえば、1970年代には世界の金の8割以上を生産していた国。
今でもプラチナの8割近くを生産する国。
ですから、私も南アとの関係は深く、出張も多く、あの国のドラマチックな変遷をこの目で見てきました。
一言で言って、悪名高かった人種隔離政策(アパルトヘイト)が撤廃されて、国内事情は悪くなりました。
黒人たちは、隔離されている時代には見ることのなかった白人の豊かな暮らしぶりを、「撤廃」の結果、見せつけられることになり、人種的反感がかえって強まる結果になったのです。
政党や大統領の不正行為の数々も火に油を注ぐことに。
特にヨハネスブルグの治安の悪化は酷く、私も南ア出張といえば、郊外にあるサントンという「安心、安全とされる」白人の街に滞在したものです。
今回は、コロナ感染も、国内人種格差に対する不満を強く刺激しています。


色々経験したエピソードはありますが、特に印象深いのは、金鉱山会社幹部の自宅に招待されたときのこと。
高級住宅街でしたが、刑務所のような高い壁に囲まれ、入り口には、警備保障会社のステッカーが。
拳銃が描かれていて、近づいたら撃つぞという威嚇なのですが、付き添いの同僚から、間違っても近づくな。君はアジア系の容貌だし、ウロウロしていると、本当に撃たれるリスクがある、と諭されたものです。
高級住宅街は不気味に静まり返っていましたが、一か所だけ、「塀の中」が賑やかな場所がありました。
許可を得て、入ると、そこは綺麗に整備された別世界の学校。
不気味に静まりかえった住宅街との差が衝撃的でした。
幹部氏曰く、自宅と学校は歩けば5分だが、子供は自家用車で送り迎えしている、とのこと。
今では、白人の多くは頭脳流出しています。
私の親友である南アの白人は、黒人と結婚しました。
家族には相当反対されたようですが、仲良いカップルでした。
しかし、結局、離婚。
これは親友の身勝手も要因ですが、社会的軋轢も背景にあると感じたものです。


話は飛びますが、今年のゴルフ全英オープンでは南ア選手の健闘が目立ちました。
最後は米国人プレーヤーが勝ちましたが、個人的には南アプレーヤーを応援していました。
なにも良い事なくて、これからもっと酷くなるかもしれない南アのプレーヤーには勝って欲しいと単純に思ったからです。
なお、南ア政情不安は、プラチナには、生産不安要因となりますが、一時的にNY投機筋に囃され煽られ、買いの要因に祭り上げられるので、要注意です。
金に至っては、今や、金生産国としての存在感は無く、市場変動要因にはなりません。
ちなみに、地下3千メートルの金を採掘する鉱山技術に於いては、南アの専門エンジニアの水準は群を抜いており、ロシアや中国、オーストラリアの金鉱山に助っ人として雇われています。
個人的な思い出としては、南ア、ジンバブエ、パース(オーストラリア)と3週間ほど出張したときに、資源国が資源価格に振り回される実態や、本当に深刻なアフリカ貧困問題を目の当たりにしたことが忘れられません。
いっぽうで、南アのホンモノの広大なサファリパークの醍醐味。サンシティというゴルフと娯楽のメッカ。
そこで開催された定例「社内会議」((笑))同国内だから味わえる本当の南アワイン。(最高級のワインは輸出には廻しません)。ケープタウンの素晴らしい風景。
私の祖母から明治時代に、喜望峰経由でブラジルに渡ったときのことを、子供の頃に聞かされていたので感無量でした。
その当時のクルーズの写真が残っていて、祖母が、日本人離れした「貴婦人」のような容貌でした。
後年、その孫が、金やプラチナの仕事で喜望峰を訪れるとは、縁なのでしょうね。