ギリシャ危機真っ最中のアテネを訪問したとき、いたるところに金買取ショップ(写真)が見られた。その店内を覗くと、日本のような「箪笥の肥やし」になった金の指輪を売って小遣いを得るという感じではない。切羽詰まって今日のパン・チーズとオリーブオイルを買うための現金を捻出するため、母から贈られた思い出の品のゴールドネックレスを泣く泣く処分するというような悲惨な光景であった。年金もバッサリ削減され、日本の団塊の世代とは異なり、資産がないので、絶望する高齢者たちが群れていた。
今の年金議論を聞いていると、大前提として年金に関する約束は必ず守られるという楽観論があるようだ。20年後、30年後の日本がどうなっているか、私にも見当がつかない。紙幣を乱発して年金支払いの約束を果たすケースもあり得る。増税で選挙は勝てないのだから、政治的に安易な道になりうる。そこまで考えて将来に備えるべき、とアテネで実感したものだ。筆者がセミナーで見せる中国の60億元紙幣の写真が、その実例といえよう。1949年、中国政府は紙幣を乱発した結果、60億元などと途方もない額面の紙幣が刷られ、その購買力は、写真の「丸窓」の中にある「一握りの米」しかなかったのだ。上海の銀行博物館に将来への警鐘として入り口に展示されていた。筆者は中国人がなぜ人民元より金を選好するのか、その本音が分かったような思いであった。