「金に投資する人をあざ笑うのは簡単だが、彼らが報われる時がついに来たのかもしれない。」
今朝の日経朝刊に「金高騰、世界の転換点示す」との見出しで、大振りのフィナンシャルタイムズ(FT)記事(日本語訳)が載っている。
書き手はFTのグローバル・ビジネス・コラムニスト。
つくづく、金を取り巻く環境が激変していると感じる。
これまでは、まさに、金に投資する人を上から目線で冷ややかに見る傾向が強かった。
金利も配当も生まず、金投資など所詮投機だ、というような風潮が強かった。
金に投資する人はgold bug(金好きの虫)と呼ばれた。
それが、昨年から、ガラッと変わっている。
但し、陰謀論的(トンデモ本のような)議論も依然残っており、ここは、読むほうが、気をつけねばならない。
「金を持っていれば、あなたは、救われます」みたいな語り口に洗脳される投資家も少なくない。
それから、金銀プラチナに関するコメントも、その発言者の立ち位置を見極めねばならない。
筆者がかつて属したワールド・ゴールド・カウンシルは、日本では金調査機関と紹介されるが、FTでは、業界団体とされる。
プラチナ・カウンシルも然り。
シルバー・インスティチュートも然り。
筆者が、そもそもワールド・ゴールド・カウンシルを辞めて、独立した背景には、自由に発言したいとの思いがあったのだ。
今だから言えることだが、筆者は社内ルール違反の常習者であった(笑)
ゴールドにしてもプラチナにしても、業界団体・販売促進機関が発する情報には、必ず「色」がついている。彼らが主催するイベントも曲者だ。下心が透ける。
証券会社に属するアナリストなども、必ず、ハウスビューという自社の公的見解から逸脱してはならない、という縛りがある。
個人投資家は、そこを割り引いて、聞く或いは読むべきだ。
投資用金貨を発行する造幣局長なども、PRエージェントの紹介で、紙面に登場することがある。
そのような状況のなかで、本音で金高騰の歴史的意味を論じるまともな記事が増えてきたことには勇気づけられる。
報道するメディアの記者の「質」も厳しく問われる時代となっている。
私が、独立して、株・為替そして金と並列にマクロ的視点で論じているのも、読者に金に偏らず、フェアな判断をしてもらいたい、との思いがあるのだ。
日経電子版マーケット面の「豊島逸夫の金のつぶやき」は、当日読まれたコラムのトップ5に、頻繁に入るほど、名物コラムとして定着した。
このコラムの読者からは「豊島さんは、金にも詳しいのですね」と言われ、「ええ、まぁ」と照れながら頭を掻くこともしばしばである(笑)
「金のつぶやき」の金の意味は金言ということだ。