ディーラー仲間が集まって雑談すると、なぜか、私は失敗談が多い。
それもそのはず、私の時代の例えばスイス銀行トレーダーは、とにかく自らリスクを取り、どれだけ儲けるかの勝負だった。
大銀行の社員とはいえ、心理的には「豊島商店」の主という発想だった。
リスクを取らず、売買手数料程度で儲けるのは「ブローカー」で「ディーラー」ではないとされた。
それが、近年は、ディーラーは、上からの指示で、リスクをとることを禁じられている。
単に、割安な市場で買い、割高な市場で売って、差益を求めるアービトラージ(裁定取引)しか出来ないのだ。
色気を出してリスク張ってトレードしようものなら、社内で懲罰処分を受けかねない。
この違いは大きい。


例えば、私が、損が膨らみ、急性胃炎となった経験談を話しても、皆はピンとこない。
今のディーラーは相場の修羅場をくぐることはないから、羨ましい。
でも、私は、真の相場体験が出来たので、度胸はつき、動じなくなった。
いまにして思えば、貴重な体験をさせてもらった。


最近、若手のディーラーから人生相談を受けたことがある。
日系の組織でディーラー職にあっても、ただ座っているだけで、余計なこと、即ちリスクをとることが、許されず、物足りないという。
外資系なら、もっと自由に出来るのではないか、との相談であった。
私は、外資系でも今は行内リスク管理が厳しくなっているから、転職など考えぬほうが良いと答えた。
本当にリスクをとるディーラーは10年もすれば、心も体もボロボロになる。
人生観も刹那的になる。
私は36歳のとき、その限界を感じ、12年のトレーダー生活に終止符を打った。
心理的にも、30歳の後半になると、瞬時の売買判断に迷うことが増え、そろそろディーラー引退を考えたのだ。
チーフ・アシスタント・ディーラー(女性)とたまたま昼食をとっていたとき、彼女がボソリと「豊島さん、最近どもりますね」と言われ、瞬間反発したが、「トレーディングルームで売れ、とか、買えとか叫ぶとき、う、う、売れ!とか、か、か、買え!とか言ってます」と冷静に言われ、ハッとした。
心当たりが胸の底にあったからだ。
それがディーラー引退のキッカケだった。


その後は、プロ野球でいえば、元監督でベンチ内のお出入りは顔パスで自由みたいな立場になった。
今のディーラーにはあり得ない体験であった。
Once a dealer, always a dealer
ディーラーは一度やったら、抜けられない、という英語の表現がある。
たしかに、未だに、NY市場が荒れると、血が騒ぎ、深夜2時にアドレナリンが体内から噴出して、ガッツリ、ステーキを食べたくなるのだから、困ったものだ。