過剰流動性の臨界点メルトダウンは
今年に入って、本欄では、まず「米国投資家交流サイト・レディットで結束した個人投資家集団がヘッジファンドを締め上げ勝利した話」や、今回は「韓国系米国人の元カリスマ、現問題児が世界の大手金融機関経由で大博打打って潰れた話」を連日詳細に伝えました。
複雑な金融商品(デリバティブ)も絡み、一般読者には、馴染みも薄く、分かりにくい話です。それでも連日書き続けたのは、なんとも、いやーな気がしているからです。
コロナだというのに、こんなに世界中、おカネが有り余り、今後、コロナが願わくば収束しても借金の山は残る。決して良いエンディングにはならないと思っています。インフレ、デフレ、どちらもあり得ます。最悪はスタグフレーション。その過程で、レディットとか、アルケゴスとか想定できない事態が勃発したわけです。カネ余りが齎した現象というか警鐘と受け止めています。2-3年後には、これが「有事」となり、市場ではおおごとになる、と感じているので、わかりにくい話でも、執拗に書いてきたわけです。
トラウマもあります。
リーマンショック直前にサブプライムという怪しげな新商品について、当時、日本では最初の部類でしたが、私が色々書きました。しかし、読者の多くは、横文字で分かりにくい話として軽視していました。プロの世界でも、豊島は騒いでいるが、一過性、局所的な出来事と切捨てていました。「豊島さんが、煽っている」とも言われました。
そういう苦い経験があればこそ、今回は、何を言われても書き続けようと思っています。リーマンショックとは別の形態の新金融リスクが、ウイルスとともに世界に拡散しているからです。レディットもアルケゴスも、その兆しと見ています。後世の歴史教科書には、レディットやアルケゴスという前兆のあとに経済ショックの本震が来た、と詳述されるかもしれません。コロナ変異種のリスクには目をつぶって史上最高値を更新する米国株なども、その兆しでしょう。株価は経済の実体とあまりにかけ離れています。金の価格も下がったとはいえ、歴史的高値圏に留まっていることも示唆的です。1700ドル台なんて、2-3年前だったら、夢みたいな価格帯でしたが、今や、「底値圏」ですものね。(私は5年前から予告してましたが、殆ど信じている人はいませんでした)
「金を通して世界を読む」
これが私の一貫した姿勢です。
さて、今年は異常に早く京都から筍が来ました(写真)。
今年は異常気象でやや不作だそうですが、やっぱり、京都の筍は味が各段に違う。旨い。そして筍が白くて綺麗。さっそく、おうちごはんで、たけのこ飯、たけのこスパゲティー、もちろん、シンプルに茹でたけのこ(新鮮)。3食たけのこでも飽きません。産地の「大原野」は、観光人気スポット「大原」ではなくて西京区にある一大筍産地。祇園の「らく山」にもすっかりご無沙汰だけど、あそこの大将が茹でた筍は熱の通し方が抜群なのだよ。芸術品の水準だね、あれは。